実に見ごたえのある内容の深い写真です。この方は見て感じただけでなく、眼で舐めまわしながら物事を見きわめカメラのレンズを自分の眼にしています。家は人が住むことで生き続け、柱も壁も人間の皮膚のように年齢を重ねます。部屋は見えない時間が積もり、見える形へと変わり、真新しいかった部屋は人が暮らす器へと変わり続けるのです。旧家と老人、アパートと若者といったとり合わせでなく、時間が刻まれた「器」としての部屋を人間のポートレートのように見事に表現しています。女性を匿名の後姿で、全てのものを均一化し、窓を隔て室内と違った時間が流れる外部も取り入れたことで、写真の層が厚くなりました。選考が終わり、昨年の「時間と歳月」と講評した同じ方だとわかり、ご自分の写真を壊しながらひたすら「時間」を追及する姿勢に感動しました。
【評:平井 純】
冬の夕日に照らされた川面が、桜の花びらが散って浮かんでいるかのように映りとても美しい作品です。さらに川の中央の堤防に一人ポツンと座っている人物の存在が、風景を邪魔することなく溶け込んで想像力を膨らませます。「川面を見つめながら何を考えているのだろうか・・」と。 全体を冬の柔らかい光が包みゆっくり時間が流れて行くようです。風景と人間の関係は写真の世界にあっても共存し補い合っています。作者の優しい眼差しはそのツボを心得ているかのようです。作者の他の応募作品にも優れたものがあり同様に清々しい空気感に満ちていました。
【評:奥村よしひろ】
鯉のぼりは本来、江戸時代に男児の出世と健康を願って家庭の庭先に飾られました。 当時は真鯉(黒い鯉)のみだった鯉が現代では真鯉、緋鯉、また青、緑、オレンジといった華やかな子鯉が加わり、飾られる場所も河川敷やマンションの室内などと変わって来ました。 「天まで泳げ」は、まさに現代の瞬間を捉えた作品で見る者が皆、清々しく幸福を感じる作品と思います。写真には記録と言う役割も重要です。難解な作品が芸術作品で無く分かりやすく、人々を幸福にするのが芸術作品の役割と思います。
【評:山口芳男】
おそらくマリン関係のお店でしょうか。夜のショーウインドーの中にライトで照らされたマネキン人形が双眼鏡で海を眺めている。街の中にある風景を借景し、そこにちょっと女性の演出を加えて、子供のかくれんぼの遊びをイメージする作品に仕上げています。インスピレーション、演出、撮影と写真を3倍楽しんでいる作者の姿が浮かんできます。またそれとは別の視点も存在します。都会で生活しながらも幼い頃ふるさとで遊んだ懐かしい思い出を投影し、時代の変化の中で消えつつある遊びを、写真を通じて伝え残したいとする作者の思いを感じます。楽しみや喜びと失う哀愁は同居しており、人生とも重なります。奥深い作品です。
【評:奥村よしひろ】
これは何かのイベントでの1コマでしょうか。強さとさわやかさを兼ね備えた作品だと思います。全体的に青と黒で構成されていて、水面や背景の青がさわやかさを、シルエットの黒が締まりと強さを与えています。青白く輝く背景は滝でしょうか。それをバックにパフォーマンスをする人々。シルエットで浮かび上がってくる姿がとても強い印象を与えています。それぞれが違ったポーズをとっているのが面白いです。構図的には中央部だけだと横長に間延びし、上下の黒い部分とのバランスが悪くなってしまいますが、上部にアーチがあることでバランスが保たれています。部屋に飾っておきたくなるような完成度の高い作品だと思います。
【評:伊藤圭】
「逢魔時(おうまがとき)」とは、夕方の薄暗くなる時刻のことで、黄昏時(たそがれどき)とも言いますね。明るい人間の時間から、夜の魔物の時間に移り変わる時で、魔物に逢うことが多い時間ともされています。さて作品ですが、いったい何が写っているのか正直わかりません。わからないのですが、とにかくインパクトが強い!内容ではなく、色や構成など写真全体が与える印象で勝負している作品です。赤、橙、黒、そして一部の緑が、見る者に禍々しさ(まがまがしさ)を感じさせ、印象に残ります。実際にその時間に撮ったのかもしれませんが、作品の内容とタイトルが実に合っており、「逢魔時」とはよく名付けたものだと感心してしまいます。
【評:伊藤圭】
見た目の面白さだけに終わらず、小さな生きものの「いのち」をファンタジーな世界で表現しています。100歳をこえても小さなものたちと遊び続けた「まどみちお」さんの詩を読んでいるようです。カエルの目の黒々とした闇の深さは、宇宙誕生のビックバンから億年をかけて生命が生まれ出た「いのち」の不思議さまで伝えてくれます。虫取り網の変わりにカメラを手にして子どものようにカエルとにらめっこをする作者が眼に浮かびます。大人も子どもも一緒になって楽しめる写真はめったにありません。「Frog Eye」のタイトルにもしびれました。
【評:平井純】
タイトルは見れば分かるものでなく写ってない自身の心に感じた事や思いを伝える為に付けるものです。托鉢のお坊さんの姿を見れば人々は手を合わせ何かを祈ってしまうものです。自身や家族の健康、夢や希望など様々です。でも、この作者は市民の平穏を祈っています。作者の優しい人柄や後ろ姿のお坊さん肩から一人一人の願いの重さがモノトーンの画面から静かに伝わって来る作品です。
【評:山口芳男】
総評
この度はご苦心なされた写真を多数第4回青梅フォトカジェーコンテストに応募していただき実行委員の皆様に代わりましてお礼申し上げます。今回は伊藤さんが選考に加わり、入江さん、奥村さん、山口さん、そして平井の五人で審査を致しました。
まず応募作品128点の中から第一次選考で58点を選びました。二次審査で32点を選び、その中からフォトカジェー賞候補作品に下記の三点を選びました。
荒井忠吉さん「しみついた生活」、佐々木俊一さん「晩秋」、軸丸幸彦さん「1月多摩川の夕日」。選考で意見が分かれましたが、作品の表現力の完成度、作者の豊かな眼差しなどを評価し、最終的に全員一致で荒井忠吉さんの「しみついた生活」がフォトカジェー賞となりました。入賞及び特選の講評は審査委員で分担して書いていただき作品と合わせて展示します。応募された皆さん、どなたも自分の作品をどう観てどう話し合われたのか気になるとことだと思います。皆さんのお気持ちに答えられるように、又、フォトカジェーが誰にでも親しめるように実行委員の皆さんと話し合って行きたいと思います。
皆さまの写真に接し、多くの方たちがご自分の写真の世界を開拓なさろうとする前向きな姿勢が際立って今回は感じられました。この姿勢さえあれば生涯を写真と付き合えます。何故なら写真で一番難しいのは、ひたすら撮り続けることだからです。そして、ひたすらご自身に問い続けて下さい。ああ、そうだったのかという世界があなたを必ず待っていてくれます。