結束力

感じるまま、思うままに、笑いにも心に残る笑いと、その場限りの笑いがある。チャップリンのドタバタ映画でも、何度観ても新しい笑いが湧いてくる。それは良きにつけ悪しきにつけ、人間の面影があるからだ。
この二体の案山子達は人間の家族のようで、ユーモア心魅かれるものがある。写真は何をどう写そうが自由だ、しかし写真にはもって生まれた宿命がある。レンズの前の関係したものの今しか映らない。
まるで、育ち盛りの制服のようだ。服は身に付けて過ごしてきた過去の器であり、未来の器でもある。この案山子達と同じだ。この写真にも作者が関わり合った今が映っている。青空と白い雲、黄金色になった穂波と案子、、、この写真も、フォトカジェーと作者の関係、結足力である。
作者がこれから、どんなものたちと結足力のある関係を持たれるのか楽しみにしています。

【評:平井純】

水庭

新緑の森に大雨が降り続きやがて夜が明け、陽が差し青空も見え始めた。幾つもの窪みに雨水がたまり、鏡のように反射して瑞々しい森林を映し出す。眺めていて飽きないし空気も美味しそうだ。「人の行く裏に道あり花の山」千利休の言葉が浮かんできます。有名なスポットではなく何気ない場所だが、手を加えていない森林を歩いて見つけだし通いだし、恵みの雨に遭遇しこの自然美に足を止めシャッターを切ることが出来た。人の行かぬ裏山に写真の宝が眠っていたと言えるでしょう。作者の自然に対する謙虚さや感性も静かに伝 わって来ます。普段の心構えが実った作品になりました。自宅に掛けるのもよし、カフェーに展示するのもよし、観る人に心の安らぎをあたえるでしょう。

【評:奥村よしひろ】

該当作品なし

イキモノガタリ:不敵な狩人

普段、身近に見かけるオオイシアブが戦国時代の荒武者さえもが身構えるポートレートになって、じつに写真が新鮮です。
捕らえられたアシナガコガネムシの眼を見ていると、昆虫が痛みや恐怖を感じるか、どうか分かりませんが、捕らえられた一瞬の驚きともいえる表情が眼に表れています。
また捕獲者になったオオイシアブの炯々(けいけい)とした眼は海から陸に上がり翅を身に付けるように進化した昆虫の謎の海を見ているようです。
この組写真は観るとともに読ませる力を持ち、生命とは生きるとは、と問いかける神秘と美しさを備えたメッセージ性のある作品に昇華しました。
ただ、真ん中のアシナガコガネが他にくらべ訴追力に欠けていたのが残念です。なお、写真の組み方も是非、課題にしてみてください。例えば「序破急」などの表現方法も参考に調べられるとよろしいと思います。

【評:平井純】

昭和の記憶

主催者が企画したモデル撮影会の作品です。これまで、フラメンコやベリーダンスなど複数回企画してきたが、モデルの撮影会は初めてだった。
撮影会場の青龍kibakoの和室には十数名のカメラマンが我先にと、美しいモデルにシャッターを切っていたのを思い出します。どんな作品が応募されて来るのかを楽しみにしていました。
賞に輝いたのは組写真で応募されました。
1枚目:引いたレンズに畳、障子の和室の情景に鏡台に向かう浴衣の後ろ姿。次への期待を抱かせる。
2枚目:後ろからモデルに近付き、鏡台にリアルに映し出される胸元が少しみだれる浴衣姿に可愛い唇。顔は出さない憎い切り取りが、男心を激しく揺さぶる。早くお顔が見たい! 
3枚目:アップの浴衣姿で紙風船を手のひらに乗せにっこり横向きに微笑むモデル。もう轟沈です。何もいう事はありません。作品を見て下さい。
選考中に思った事を述べます。この作品は3枚組写真の対象でもあります。二股がかかっている訳で、中々の知恵者でもあります。この手法は今後も有効です。真似される方が出てきてもOKです。ただ、応募数が減らない様にお願いする次第です。

【評:奥村よしひろ】

輪になって一休み

最近テレビで取り上げられる“カルガモのお引越し”は、すっかり初夏の風物詩となりました。そんな親子の仲睦まじい姿を近距離で捉え、私たちに身近な自然を感じさせてくれる一枚です。
作者はボートか何かに乗っていたのでしょうか、遠くから見れば平穏な水面も、小さなヒナたちにとっては波乱万丈、大きな試練のひとつです。
被写体に近付いて撮影した結果、主題のカモたちの立場に立ってモノを見ることができますね。
人を怖がらずに近付いて来てくれる鳥は多くなっていますが、このような光景を目にする機会が多いのも自然豊かな土地柄であればこその利点と云えるでしょう。
これから数週間後、どれほどのヒナが無事に巣立つのか楽しみです

【評:畠田 冴子】

伝統指導

伝統工芸品を後世に残していく難しさはここに限ったことではありません。ただ、後継者不足と云えども、このように街の中で長老者が子供たちに技術を伝えて行く方法であれば、たとえ跡取りが居なくても風習や風俗を受け継いで行くことは可能です。
ここ青梅ではお祭りの度に使用するワラジが必須ですから「誰しも自分で作れるのか当たり前」というのが理想的ですね。狭い部屋で夢中になって仕事をしている主役の二人や周囲の観衆を画面に入れながら、テーマでもある「手元」が判るようなアングルで、しかも師匠と弟子の表情も見せなければならないのは大変だっただろうと思います。
マスクで顔は隠れていますが、熱心な姿は充分に伝わりますね。

【評:畠田 冴子】

爆水

これは何だろう??
台風がやってきて川の水量が危険水域まで上がっている状況を興味本位に見に来ている人たちだろうか? 
しかし、それにしては緊迫感が伝わってこない。
映画のワンシーンに出てくる一コマのようにも見えます。不思議な空間を作り出した作品ですね。場所は?いつ?何を撮ったの?など、つい質問したくなりますが、この作品の場合種明しはしない方が良いでしょう。
観る人がそれぞれに想像力を働かせて、場合によっては各々の想像力を交換し正解のない会話を楽しんで頂ければアットいう間に時間が過ぎるでしょう。
もはや真実など必要としないアートの領域に迫っています。審査員を悩ます作品は印象に残り高評価に繋がりました。

【評:奥村よしひろ】

収穫

曼珠沙華は「彼岸花」という名の通り、どんなに異常気象でもお彼岸になれば正確に花を咲かせるものですね。
ここではちょうど稲刈りの最中です。画面を右上から左下へと斜めのラインで構成することにより、リズミカルに遠近感を演出しています。
遠くに見える稲掛けは既に仕事を終えた過去を象徴し、徐々に稲刈りが進行していく現在の状況を克明に捉えて主題としています。一枚の画の中に過去と現在という時間の流れを表現し、農業を生業とする日常生活や地域の特徴を活かした物語には強い郷土愛を感じられます。
色彩的にも鮮やかな花を彩りに添えて季節感をあしらうなど、目にも眩しい黄金色の稲穂とのコントラストが美しい日本の原風景を教えてくれますね。

【評:畠田 冴子】

浴衣の少女

実にシンプルで素直な写真です。写真はまさに正直で、作者のお人柄までもが写しこまれました。
振り向いた一瞬に絞ったことで、少女の愛くるしい目鼻立ちだけでなく、チャームポイントの耳たぶや浴衣姿のうなじまでもが写しとられています。
大胆に周辺をカットし、全ての説明を切り捨てた結果、見る者たちに、一人の少女の物語を自由に連想させる、肖像写真に創りあげた作者のカメラワークは見事です。
参考としてお話をします。少女の右側の暗部が気になります。少女の襟足近くまでで、縦に切り落とし、縦横1対1の正方形な写真になさってみたら、またおしゃれな写真に生まれ変わるのではと思います。試してみてください。

【評:平井 純】

かがやき


ニイハオ(パート2)楊名時太極拳承ぐ花


求愛中


雨上り


初日の出「希望」


春を駆ける2


伸びたり 縮んだり


アクリル板の向こう側・百一歳の我が母


ほのが居た


和洋共演の夕べ


渦中の挙式


旨い水、飲みたいよ!


むかし道


一時のいたずら


主(あるじ)待つ家

浅草


クマさんのおんがくかい!?


極地的豪雨


訪問学習


かつての日本があった!


ライン


空へ


虫とり


表参道を左に曲がって


寄り添う

環状共存2


陽だまり:1980年


横浜山下公園


いざ出陣


小屋の肖像


氷紋2


坂道


湯上りの猿


むらさきのはな


奉納の舞


歩道橋


総評


外歩きにもままならないコロナの時代、写真を愛される皆さんが写真と、どのように向かい合い、写真とどう過ごされておられるのか自分のことのように気になっておりました。
応募なされた皆様の写真を審査会場の机に広げられた際、お名前は誰一人わかりませんが、例年と違った「これが私の写真です」という気迫のこもった声が、それぞれの写真から聴こえてきました。
これらの多くの写真は作者の身辺に注意深く目を向けられ、その方らしい人生体験を生かされ発見なされたものたちでした。写真として表現したい意欲がひしひしと伝わってくる作品が多く見受けられました。
その例として。組写真で、自然の中での生き物の本能的な光景と向かい合う作品や賞には及びませんでしたが、昨年に続いて100歳になられるお母さんの内面にまでレンズで 迫ろうと努力なされた作品など、実に個性的な写真の世界が見られ、写真表現の内容がより深まったことは、今回の大事な特徴でした。 

【平井純】